歩きスマホと二宮金次郎

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学校や幼稚園なんかに、よく二宮金次郎の像がたてられています。


なんでも、家業をたてなおすため、薪運びなどの仕事に励む中でも、時間を惜しんで勉学に励んでいたと伝えられています。

 

子供たちもそのような勤勉さを見習ってほしいという思いがあるのでしょう。

 

ところが。

今の子供たちがそのような勤勉さを見習って、将来、歩いている時間を使って本を読もうとするとどうなるでしょう。

 

ほめられるどころか

 

「歩きスマホをしてるマナーの悪い子!」

 

と罵られてしまうのです。

 

将来はますます、重くて不便な紙の本を読む人は少なくなっていくでしょうから、そうすると本は、スマホなどの端末で読むのがスタンダードになっていきます。

 

しかし、歩きスマホはマナーが悪いというイメージがあるがゆえに、二宮金次郎を見習って歩きながら本を読むことは、逆にだめな人という評価を受けてしまうのです。

 

実際に、「歩きスマホを誘発する」という理由で、座る二宮金次郎像を設置する学校もあるようです。

 

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さて。

二宮金次郎の実践した方法がいまの時代に合わないのか。

それとも、歩きスマホを一律で禁止することがおかしいのか。

子供たちになんと説明すればいいのでしょう?

 

 

ちなみに私は二宮金次郎を見習っているわけではありませんが、毎日のように歩きながら読書をしたり、ニュースを読んだりしています。
もちろんスマホを使ってです。

 

そんな勤勉な私をほめるどころか、駅などのアナウンスでは

 

「歩きスマホは迷惑だからやめろ!」

 

といった心ない言葉をあびせてくる始末。

とても肩身の狭い思いをしています。

 


でも。

 

なんで歩きスマホだけを悪く言われるのでしょう?

 

他の歩き○○はなぜそれほどとがめられないのか?

 

紙の本の歩き読書は?

 

Kindle端末の読書ならスマホじゃないからいいの?

 

歩き新聞はスマホよりも視界が遮られるけど、そっちの方が危険じゃないの?

 

歩きながら地図を見ることもよくないですよね?

 


とにかく。

 

一律で「歩きスマホ」とか言って、歩き読書をつぶすようなことはやめていただきたい。

 

ぶつかって危ないというのなら。

 

「歩き○○はするな」

 

と全ての歩きながら行為を全面的に禁止すればいいじゃないですか。

 


それと。

 

休日のお出かけのとき。

 

移動時間などの隙間時間で、読書や調べ物、ブログネタのまとめなどを休まずしている私に

 

スマホばかりいじって何を遊んでる!中毒か!」

 

と非難するオニママをなんとかしてください。

 

これが紙の本や新聞を懐に入れて読み、紙のノートにペンで書き込んでいたとしたら、

 

「休日の隙間時間を活用して感心だな!」

 

と、オニママは侮蔑の言葉を投げかける代わりに、少しくらいほめてくれるのではないでしょうか。

 

やっていることは同じなのに。

 

 

・・・二宮金次郎に話は戻って。

 

こうして考えると、二宮金次郎がうんぬんというよりも、「スマホ」自体のイメージの悪さが要因のような気がします。

 

座った二宮金次郎が本ではなくスマホを見ていたら。

 

仕事をさぼって遊んでいるようにしか見えませんからね。